死を意識する大切さ
皆さま、お疲れ様です。
6月に秋葉原ランパートさんで開催される僕のレッスン「格闘フィットネス2.0」、目に留まった人はせめていいねを押していただけるとめっちゃ嬉しいです。笑
https://www.facebook.com/events/335211903825005/
参加方法もこのリンク先に載っています、一緒に動こうぜ!!!
今日はボディコンバットの話はあまりしません。僕がこの事業を始めたキッカケについて書こうと思います。
僕が独立したキッカケ
2年前にジムで働いていた時です。別の地元ジムの会員さんから急に連絡が来て何かと思ったら、毎週クラスを担当していたイントラさんが急死してしまったとのことでした。
そのイントラさんとは顔見知り程度でしたが、盛り上がるクラスをやってくれる数少ない貴重なイントラです。その頃は僕も仕事が忙しくてその方のクラスには全然出れませんした。「まぁ、来月行けばいいか。」くらいにしか思っていませんでした。だって、異動とかならまだしも、死ぬなんて誰が予想しますか?僕と歳も近くて、イキイキした子でした。
僕はそれまで「死」というものについて、あまり感じたことがありませんでした。ウチのばあさまが亡くなった時は悲しかったのですが、それ以外で「死」というワードに出くわすことはなかったんです。あるとしたらテレビのニュースくらいで、自分にとってはまだ先の話、と勝手に思い込んでいました。
ですが、そのイントラさんの死をキッカケにして焦り始めました。『ヒトって、歳関係なく簡単に死んじゃうのか』急に怖くなりました。人生で「死」を身近に感じた瞬間でした。
それからどうしたか?
そうは言いましたが、そのイントラさんが亡くなってからというもの、日常は何も変わりませんでした。しかし、この出来事をきっかけにしてふとした瞬間に「死」を考えるようになりました。でも、明日死んだら、この後何かの拍子に死んじゃったらなんて考え始めたらキリがありません。
我々は「死」に向かっているのに、自分は本当にやりたいことが出来ているのか?僕は毎日自問自答していました。
江戸時代の死生観
鬼平犯科帳の作者である池波正太郎先生が書かれた「男の作法」という本があります。池波先生が大事にされている作法や生き方などを綴られたエッセイです。この本の中で、「死を意識する」ことについて書かれています。医療が発達していなかった江戸時代など昔の人々は、流行病などで死んでしまう人が多かったのです。加えてお侍さんは仕事上何かミスがあったら切腹なんてものもありました。ですから、その時代に生きた人は小さい頃から、様々な「死」を経験しています。彼らは死を身近に経験しているからこそ、1日をどうやって生きるか、明日をどう生きるかを考えることが出来るのだと思いました。つまり、、、
死を考えることが、逆説的に生きることを考えることに繋がっているのだなと発見しました。
「死」を意識するから「生」を痛烈に感じる瞬間
僕にとってはそれが、ボディコンバットやっているときです。全身全霊で、一発一発の動作をクラスで繰り出します。きつくて、たまに吐きそうになるくらい追い込まれることもあるけど、それでも動きます。その時に「オレは生きてるんだなぁ」と感じるのです。
出来ることなら死ぬ寸前までコンバットのことを考えていたいと思います。飽きるかもしれませんし、他の事業を始めるかもしれません。ただ大事なのは、「オレは生きている」と感じられるようなことを生業にしていたいとは思います。
こんな感じでこれから僕も気を引き締めてまいります!来週も頑張ってまいりましょー!